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東京高等裁判所 昭和36年(う)1036号 判決 1961年10月26日

判  決

本籍

福岡県若松市本町一丁目六番地

住居

東京都豊島区池袋二丁目千二百四十一番地福泉閣アパート内

無職 荒牧退助

明治二十八年二月十六日生

右の者に対する傷害被告事件について昭和三十六年四月五日東京地方裁判所が言い渡した有罪の判決に対し原審弁護人大沼末吉及び東京地方検察庁検察官検事横井大三からそれぞれ適法な控訴の申立があつたので当裁判所は次のように判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

押収した登山用ナイフ一丁及び鞘一個(当庁昭和三六年押第四一六号の一及び二)はこれを没収する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は弁護人大沼末吉作成名義及び東京地方検察庁検事正代理検事岡崎格作成名義の各控訴趣意書に記載されたとおりであるからここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。弁護人の控訴趣意二、について

所論は、原裁判所は、弁護人が本件犯行の動機を知るために本件当時の議会内外の政治状勢、被害者岸信介の政治行動を立証する必要ありとして、衆議院議員二名を証人として申請したのにかかわらず、その取調を許さず、右のような重要な点を審理せずに、裁判官の独断によつてのみ判断し、漫然裁判したのであつて、原判決には審理不尽の違法があるというのである。

記録によれば、原審第二回公判期日において弁護人は、本件犯行時における社会状勢等につき立証するため元参議院議員浅岡信夫、本件犯行当時の政治状勢等を立証するため参議院議員辻政信をそれぞれ証人として申請し、右浅岡信夫については同第四回公判期日において証拠調決定があり同第七回公判期日において取調を了したが、右辻政信については同第七回公判期日において弁護人がその証人申請を撤回しこれに代えて伊藤卯四郎を証人として申請したところ、原裁判所はこれを却下して証拠調の手続を全部終了し、検察官の論告に移つたことが明らかである。そして原裁判所が右裁判所が右証人伊藤卯四郎の証拠調申請を却下したのは、原審の審理の経過に徴すれば、原裁判所としてはすでにそれまでに取り調べた証拠によつて事案に対する審判をなすに十分であつて、右申請にかかる証人の取調は必要ないものと認めたからであることを窺い得るのであつて、事案の内容に照らしても、原裁判所の右措置は相当であり、裁判官の独断によつてのみ判断し、漫然裁判した事跡はなく、そのほか記録を精査しても原判決に所論のような審理不尽の廉あることは発見できない。論旨は理由がない。

弁護人の控訴趣意一及び検察官の控訴趣意について。

弁護人の論旨は原判決の量刑は重きに過ぎて不当であるといい、検察官の論旨は原判決の量刑は軽きに失し不当であるというのである。

よつて各所論に鑑み記録を調査し当審でした事実取調の結果を併せ考察すると、弁護人は本件は被告人が国民大衆の一人として当時の岸首相が日米安全保障条約改定案の国会審議に当り採つてきた非民主的にして無軌道な政治行動に対し強く憤激し、国民大衆の意思を代表し同首相に徹底的な膺懲を加えることが必要であると決断し、原判示犯行に出ざるを得なかつたものでその動機は洵に同情に値すると主張するが、民主々義は互に相手方の立場を尊重し話し合いによつて物事を処理することであつて、民主々義において許された方法は言論による説得であり、暴力による相手方の制圧は許されない。殊に政治上の主義または施策を支持しまたは反対する目的を以て人を殺傷するいわゆる政治的暴力行為は民主々義を基調とする国家においては絶対に許されないのである。被告人は本件の動機について、岸首相の安保条約改定案の審議に当つて採つた非民主的な政治行動に対し岸首相に膺懲を加えて反省を求めると共に後任首相に対し警告を与えるため本件犯行に及んだものであるというのであるが、岸首相は当時既に内閣総辞職を声明し、後任首相を指名する前提としての自由民主党の総裁が決定していたのであるから、岸首相に対する政治的な反省を求める目的は達せられた筈であり、また本件のような暴力事犯によつて後任首相に対し警告を与えるというに至つては全く言語道断というの外なく、いずれも被告人に有利に斟酌すべき情状とは考えられない。のみならず被告人は検察官に対し、本件の動機は安保審議をめぐる岸首相の行き過ぎに対し痛い目にあわせ岸首相と後継者に警告を与え、併せて私の名前を社会的に知らせようと思つてやつたのであると述べ(昭和三十五年八月四日附供述調書)または原審公判廷では、私の行為は社会に批判させたら私の方に投票がうんとくるんじやないかと思つていると述べ(原審第三回公判における供述)ている点を総合して考えると、その動機において不純なものが存したことを窺えないでもない。次に弁護人は本件傷害の程度は約二週間の安静加療を要する程度の微々たるものであると主張するが、記録によれば本件犯行に使用した兇器は相当鋭利な登山用ナイフであつて、これによつて岸首相の受けた傷害は左臀部及び左大腿部に深さ二糎乃至五糎の刺創六ケ所であつて、幸に経過良好で余病の発生がなかつたため比較的早く治癒することができたとはいえ所論のように微々たる傷害ということはできない。また被告人は原審公判廷において、岸首相の今迄の罪悪と私の行為を比較したら雲泥の相違があり、私の行為は岸首相の悪政の一毛にも過ぎない。岸首相に対し安静加療二週間位の怪我をさせたのは適当なところで丁度よかつたと思つている。社会はどう見るかプラスかマイナスか見方によるであろうが私は子供ではない。信念を持つてやつたことであると述べ、この心境は当審においても変らないと述べているのであつて、全く反省の念は窺われない。その他記録に顕われた諸般の情状を総合すると、原判決の量刑は聊か軽きに失するものと思料されるので量刑不当の論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法第三百九十七条第一項第三百八十一条により原判決を破棄した上、同法第四百条但書に従い更に次のように判決をする。

原裁判所が適法に確定した事実に法令を適用すると、被告人の原判決判示所為は刑法第二百四条罰金等臨時措置法第二条第三条に当るので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期範囲内で被告人を懲役三年に処し、押収した登山用ナイフ一丁及びその鞘一個(当庁昭和三六年押第四一六号の一及び二)は、被告人が本件犯行の用に供したものであつて犯人以外のものに属しないから、刑法第十九条第一項第二号第二項によりこれを没収し、原審及び当審における訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により全部被告人の負担とする。

よつて、主文のとおり判決する。

公判出席検察官検事 岸川敬喜

昭和三十六年十月二十六日

東京高等裁判所第八刑事部

裁判長判事 渡 辺 辰 吉

判事 司 波   実

判事 小 林 信 次

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